What's Terraced Rice fields of Ohaga-nishi
面積42.2haの中に約850枚の田んぼがあり、大きな谷全体に棚田が360度すり鉢状に広がっています。
四季折々の美しい景色に魅了され、全国から訪れる写真家や観光客が後を絶ちません。
耕地が狭くあぜが多いため、草刈りひとつ取っても大変な労力で、
この景観と自然環境とおいしいお米が守られ続けています。
大垪和ってどこにあるの?ーWhere is Ohaga?ー
大垪和は岡山県の中央に位置し、岡山市へ45km、津山市へ20kmのところです。
久米郡の最高峰である、二上山(ふたかみさん)(標高689.2m)があり、中腹部に民家が点在しています。
吉井川水系と旭川水系の分水嶺となっており、空気は清く、山川から湧き出る水を利用し、
先祖伝来の棚田を守り、稲作のほか乳牛、野菜、そば、ぶどうなどを生産しています。
大垪和の歴史ーHistory of Ohagaー
奈良朝時代の和銅6年(713)、備前の国の内、久米郡ほか5郡を割いて美作の国が設置され、
翌年に二上山に泰澄大師によって両山寺が開基されました。
戦国時代の大垪和は、国侍(垪和氏、竹内氏、杉山氏など)多数の武将が、
お互いに攻防を繰り返した栄枯盛衰の時代でしたが、
天正12年(1584)、毛利・宇喜多の和睦により戦乱は終息しました。
江戸時代には津山藩(森忠政が津山城を築き津山藩を起こす)、その後浜田藩、鶴田(たづた)藩、などの所領へと変遷します。
明治維新を迎え、明治22年(1889)町村令により、
大垪和西・大垪和東・両山寺(りょうざんじ)・和田北・角石祖母(ついしそぼ)・境(さかい)が大垪和村となりました。
昭和30年、合併促進法の施行で、大垪和村・加美町(かみちょう)・三保村(みほそん)・打穴村(うたのそん)の
4か町村が合併し中央町が誕生。その後、平成17年に美咲町となりました。
Annual events of Terraced Rice fields Ohaga-nishi
◯滝谷池さくらまつり(4月/April)
棚田に水を供給する滝谷池周辺で、棚田米を使ったばらずし、焼きそばなどを販売する。
演芸の舞台や地域の産品が当たる抽選会等もある。
「日本の棚田百選」認定の大垪和西棚田内の棚田公園にて、収穫した米と地元産の卵の「名物・卵かけご飯」や、「油揚げ」、地元産のそば、野菜や地域の農作物などの販売など。
奇祭として知られている護法祭は「ゴーサマ」と地元では呼ばれ、毎年8月14日に行われます。
建治元年(1275)から二上山(ふたかみさん)の鎮守として祀っているもので、7日間塩場の池(しおばのいけ)で水行で身を清めた護法実(ごほうざね)に修験者の祈り付けにより善神がのり移り、神の化身である烏が人間に憑依して本堂の庭をかけめぐります(ご法楽)。この間、護法実に捕まえられることを恐れ、参詣人は逃げ惑います。護法実が捕まえるのは不浄の者とされ、3年以内に亡くなると言い伝えられています。 護法祭をいつの頃か1年休止したところ、付近一帯の山林に鳥が密集して五穀が喰い荒らされてしまったため、農民達の強い要望によって再び祭が行われるようになったという伝説もあります。
獅子舞は力強い雄型の舞形で、「さんば」「いさみ」「道中」「あそび」「のっと」の5種類で構成されています。氏子が獅子となり舞を踊ることで、神が本殿から神輿に乗って御旅所(おたびしょ)にお渡りになる間、ご神体を守り、家内安全と五穀豊穣に感謝し、来年も豊作を願うもの。境神社の獅子舞と1対の舞であったと言われる。
五穀豊穣を祝う秋祭り。獅子舞は「御拝」「さんば」「しゃぎり」「道中」「あそび」「いさみ」の6種類あり、古式ゆかしい素朴で優美な雌型の舞形。
毎年11月に境の「紅そば亭」にて、境地区の新そばや特産品の販売、そば打ち体験やそばの早食い大会など「そば一色」の、地域内外の交流イベント。